KEYNA
「私の曲は、聴いた人が感じる色に
染まってもらいたい」

……ミュージシャンになろうと思ったきっかけが阪神大震災の時に行ったボランティアだそうですが、なぜそれが歌うことへ繋がったのですか?
「父親に連れられて初めて阪神大震災の被災地に行ったのは6歳の時でした。最初は何をすればいいのか、自分に何ができるのか全然わかりませんでしたが、現地の子と一緒に過ごすことでその子たちの心の傷が癒えればいいなと思うようになって…。一緒に遊んでいても、その内容がすごいんです。例えば“地震ごっこ”という遊びがあって、ダンボールの中に何人か友だちが入って、周りの子は「地震だ!!」って叫びながらダンボールを転がして小石や砂を投げ込むんです」
……すごいリアルですね。
「はい。でもよく考えるとね、子どもって気持ちを上手く言葉にできないじゃないですか。それでも不安や恐怖を誰かにわかってもらいたい。そこに、精神科医でもカウンセラーでもない等身大の子どもの私がいて、きっと地震を知らない私に「こんな地震だったんだよ、こんなに怖かったんだよ」って一緒に遊びながら伝えようとしてくれたんじゃないかって思ったし、それが伝わってきたからこそ余計に早く傷が癒えて欲しいと思うようになりました。そうやってしばらく過ごしているとある日、偶然ミュージシャンに出会ったんですよ」
……ミュージシャンが被災地に?
「そこには大阪や名古屋からミュージシャン仲間が集まって来ていて、被災地の人たちを励まそうとストリートライヴをやっていました。その中のひとりに大阪の男性がいて、ある日その人が歌っていると、通りかかった被災地の人たちがみんな涙を流して泣き出したんです。あれには本当に大きな衝撃を受けました。歌にはこんなに人の心を動かす力があるんだって。その瞬間から、いつか私も自分の歌を作って人の心を動かせるような人になりたいって思うようになりましたね」
……歌が与える影響力を目の当たりにしたのがきっかけだったんですね。KEYNAさんの曲は、夢の儚さや都会の虚しさと、それでも未来を信じる純粋無垢な気持ちが共存していて、流行を追わない普遍的なものを感じるのですが、KEYNAさんが音楽を通して伝えたいことはどんなことですか?
「曲って、確かに歌い手の気持ちが込められていて歌い手の色もあると思うんですけど、私が自分の曲を最初に提示する時は、できるだけ透明でありたいんです。例えば私の曲の歌詞に“悲しみ色”というフレーズがありますが、それがどんな色なのかは聴く人によって違うだろうし、聴いた人が感じる色になっていってもらえれば嬉しいです。基本的に“私の歌はこういう感じ”とは決めていないので今後どんな曲ができるかはわかりませんが、何かに悩んでいたり落ち込んでいる人に寄り添えるような、元気になってもらえるような音楽が作れるといいなと思います」
……世代を問わずいろんな人に聴いてもらいたいですね。今後の展望はありますか?
「実はボランティアがきっかけで台湾にも行くようになって、最近では年越しは台湾で過ごすくらいお気に入りの場所になっています。台湾でのライヴ活動も含め、自分がやりたいことである音楽を通して出会えた人たちは私にとって本当に特別な存在だし、これからもそういう出会いを楽しみながら、自分にしかできない音楽を表現していきたいと思っています」
photograph by H.Take



